ひこうき

父から3年間はどんなに嫌なことがあっても同じ会社で働きなさいと言われ働いた会社ではボーイングの飛行機を作っていた。
私が入った頃はまだWindows95が出たばかりで会社にパソコンはなく飛行機の部品を受注するのは紙だった。
手書きで自社の注文を書いていくという苦行に耐えられない私は当時ワープロを持ってその作業をした。
それから自分でパソコンを買って、パソコン教室に行った。
そしてその耐えられない作業をパソコンでできることにしたら残業を減らすことができた。
世の中は飛行機バブルのいう時期で大型旅客機の販売が2.5倍くらいに増えた時期だと聞いていた。
このため会社はいつも納期のことで揉めていた。

これなんとかできないかなと思って、計画を作る仕事を教えてもらうことにした。
大きな機械に金属の板を乗せて窓の枠に合わせて削るには治具と呼ばれるものを機械に乗せていくのだけど、
その作業に時間がかかること、でも大きさのバリエーションがあるから近い形のものを順番に乗せていけば労力が最少になる。
機械の上に材料をのせる前に機械の清掃をしなくては表面に傷がついてしまう。この傷は数センチでも治すのに相当な時間とテクニックがいる。

材料を搬入するにも大きなものを下にカーブがついているものは大きくても一番上に積み込まないといけない
トラックの重量に気をつけなくてはいけない。
組み立て前にさらにカーブをつけるための成形がいる。飛行機の外側の板はかなりカーブが強いので成形後は場所が必要になる。
組み立て工場には飛行機の1/3が置かれていて1台分完成しないと次を始めることはできない。つまり1枚でも不足すると作業が止まってしまう。

これらの要素を加味して予定表を作り毎月名古屋港の近くまで打ち合わせに通っていた。
最初は誰だ協力してやるか!みたいな扱いだったけどしまいには2つの部署の課長さんに顔と名前を覚えてもらえるようになった。

思うと大変な仕事をやっていたと思う。初めたばかりの頃は過労で10日ほど入院した。

それでも今となってはあの時自分に向けられた視線、敬意を持って接してもらえた時の喜びは覚えていて
頂いた仕事はベストを尽くすようにしているし「仕事なんて適当にしていたらいいのよ」なんて人を見ると軽蔑してしまうし、経営者が従業員がベストを尽くせるような環境を作ることに躊躇うような会社は関わらない方がいいと思っている。

写真はハンガリーブダペストのリスト・フェレンツ国際空港からスイスのユーロエアポート・バーゼル=ミュルーズ空港へ行く時に乗った飛行機

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Posted by M